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鳩山由紀夫首相は6日、藤井裕久財務相の後任に菅直人副総理・国家戦略担当相を起用したが、決め手は小沢一郎民主党幹事長との距離だった。「ごたごたが長引けば政権へのダメージが増す」(首相周辺)との危機感から、首相は藤井氏の辞意が表面化した翌日の決着を図った。だが、小沢氏が「拒否権」を発動すれば事態はこじれる。円満決着のためには、小沢氏と距離のある人物は候補から外す必要があった。 ◇ 「小沢幹事長には先ほど『このようにしたいと思います』と伝えました。『総理の決めることだから結構です』という言葉がありました」 淡々とした表情の鳩山首相は6日夜、首相官邸で記者団に、後任人事をめぐる小沢氏との電話会談のやり取りを披露した。 そのうえで「(この電話よりも)事前にはありません。私は自分で決めてから幹事長には伝えました」と述べた。人事は自身の決断だったと強調してみせたのだ。 鳩山首相は6日昼ごろ、周辺に「こういうのは早く決めなければならないから」と述べており、首相なりに結論を急いだものとみられる。実際、政府関係者は「身体検査(身辺調査)をやる暇もなかった」と明かす。必然的に候補は「身体検査」済みの閣僚、副大臣に限られ、仙谷由人行政刷新担当相、野田佳彦財務副大臣らの名前も挙がった。ただ結論を急ぐ中であっても、首相は「小沢氏に拒否されない候補」という条件だけは忘れなかったようだ。 5日午前には首相に近い松野頼久官房副長官が国会内で、小沢氏側近の樋高剛副幹事長とも話し込んでいる。また、官邸側は6日に「きょう明日中に後任を決めたい。平野博文官房長官が幹事長に相談する」と党側に打診。首相と小沢氏の側近同士が同日夜、協議することも予定されていた。 一方、藤井氏は検査入院中から「野田君はよくやっている。素晴らしい」と周囲に述べ、予算編成を支えた野田氏を後任に推す意向だった。だが、平成20年夏の党代表選で、野田氏が小沢氏に挑戦しようとして断念に追い込まれてから小沢−野田関係は悪化。また、仙谷氏は反小沢勢力のリーダー格で、最近もポスト鳩山の代表選があれば「出てもいい」と漏らしたとされ、小沢氏サイドは警戒を強めていた。 これに対して、菅氏は「市民運動出身で、小沢氏と肌が合わない」(党幹部)と言われながらも、元旦の小沢邸新年会にも現れ、平野氏と相談して万歳三唱をするなど、小沢氏への接近に努めてきた。 国家戦略担当室の態勢が整わない中で、菅氏は目立たない閣僚の筆頭格だった。これが逆に菅氏が小沢氏周辺から反感をもたれないという効果も生んだ。 ただ一転して脚光を浴びる財務相に就任した菅氏に対し、国対幹部の一人は「予算審議は大変だ。菅さんは侮辱されたら黙っていられない。失言するよ」と早くも懸念を漏らしている。 ・ ひろゆきのブログ ・ ひろゆきのブログ ・ ショッピング枠現金化 ・ アフィリエイト ホームページ ・ ショッピング枠現金化 #
by x8ei10akb1
| 2010-01-09 15:02
赤松広隆農林水産相は5日の閣議後会見で、鳩山政権の農業政策の柱である戸別所得補償制度の関連法案について「まだモデル事業も始まっていない。ここで(国会に)出すのはどうか」と述べ、次期通常国会には提出しない考えを明らかにした。昨年9月の就任直後は同国会での成立に言及していたが、先送りすることにした。 【関連ニュース】 ・ 10アール1万5000円を一律支給=コメ所得補償で詳細 ・ 24道府県が減産=10年産米の生産目標 ・ 事業仕分け・分野別ポイント ・ 26日の事業仕分けの結果 ・ 戸別所得補償の対象限定=地方・農家が費用負担も ・ 青い稲妻 ・ あきらのブログ ・ 自己破産 ・ クレジットカードのショッピング枠を現金化 ・ 携帯ホームページ #
by x8ei10akb1
| 2010-01-09 02:30
茨城県土浦市で平成20年3月、9人を殺傷して殺人罪などに問われた金川真大被告(26)の死刑判決が5日午前0時、控訴期限を迎え、死刑が確定した。 水戸地裁は昨年12月18日、金川被告に死刑を言い渡し、弁護側は即日控訴。金川被告は同月28日午前、水戸拘置支所に書面で控訴取り下げ書を提出、同地裁が受理した。 刑事訴訟法によると、上訴(控訴)を取り下げた被告は再び上訴できない。 判決によると、金川被告は平成20年3月19日午前、同市中村南の無職、三浦芳一さん=当時(72)=方に侵入し、玄関付近にいた三浦さんを文化包丁で刺殺。指名手配中の同23日午前には、JR荒川沖駅構内などで、文化包丁などを振り回し、阿見町うずら野、会社員、山上高広さん=当時(27)=を刺殺、警戒中の警察官ら7人に重軽傷を負わせた。 【関連記事】 ・ 判決要旨「死刑を回避すべき事情、見いだせない」 ・ 「当然死刑」土浦殺傷公判で被告父が異例発言 ・ 筆談で会話する家族…被告のTシャツには「妨害」の文字 ・ 「死刑になりたかった」金川被告が心境語る 土浦8人殺傷事件 ・ 秋葉原通り魔の素顔…ロリコン、スピード狂 携帯片手に2ちゃん書き込み「2Dしか興味ない」 ・ moukaruネット ・ 終わりなき旅 ・ ショッピング枠現金化 ・ クレジットカード現金化 比較 ・ 携帯ホームページ #
by x8ei10akb1
| 2010-01-08 21:29
昭和18年、宮内庁楽部に入って3年目の東儀祐二(当時15歳)は、音楽に専念できる状態になかった。ほかの楽部の少年たちとともに東京・小金井にある防空監視訓練所で敵機の機種や高度、速度を測る訓練を1週間積んだ後、宮城予備隊の監視隊員として宮中の防空を担うようになる。楽部で1年後輩だったビオラ奏者の嶋田英康(81)も毎日を祐二とともに過ごした。 空襲が昼夜問わず激しくなった20年の5月25日深夜、宮中のすぐそば桜田濠沿いにあった参謀本部が空襲を受けた際、火の粉が濠を渡って宮城にある明治宮殿の屋根下通気口に吸い込まれていくのを、祐二と嶋田は見た。 「お巡りさん、火の粉が吸い込まれていく」 屋根に上っていた皇宮警察の警察官に大声で知らせたが、伝わらない。やがて建物は銅ふきの屋根から燃えはじめ、少年たちは宮殿内の棚にあったものやシャンデリア、畳までも運び出した。 翌日未明にかけて建物が焼け落ちるのを「ただ見上げるしかなかった」と、祐二は後に妻の幸に何度も語った。長い夜だった。 仲間も失った。祐二と同級だった多忠昭の兄で同じく楽部生だった忠博が、当直をしていた建物で空襲を受け死亡。亡くなった仲間の遺体を棺に入れて運び、ろうそくを灯すのも宮城予備隊員の仕事だった。 終戦の翌年の21年。祐二は卒業まで通常7年かかる楽部を6年で卒業し、楽師として任官する。戦争で多くの楽師が戦死し、足りなかったのだ。しかし、戦後は楽師に定員制が設けられたため、多くの楽師が宮中を去り、オーケストラに職を求めた。 「もっと勉強をしたい」 祐二も22年に退官。京都への帰郷を決意した。(安田奈緒美) ・ 私の親、タクシー運転手です。 ・ 晴れ時々魚 ・ クレジットカード現金化 ・ 競馬サイト ・ クレジットカード現金化 還元率 #
by x8ei10akb1
| 2010-01-08 21:29
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